月経について考えること

布ナプキンや下着を作り、女性の身体にとって何が本当に良いことなのか考えるようになって、自ずと生理(月経)に対してもより深く考えるようになりました。 なので、ここでは店主が生理について思うことを。


古来からの月経にまつわる習慣に目を向けると、多くの地域で月経中の女性は別の小屋に「隔離」する習慣があったことが分かります。日本も昔は「忌み小屋」というのがあったそうです。他にも調理をしてはいけない、本を読んではいけない、畑へ出てはいけない、など地域や文化によって様々なタブーがあり、私の住むバリでも未だに、月経中はお供え物に触れたりお寺に入ることを禁じています。これらの多くの基本的な認識は「血は穢れ(けがれ)」です。

世界にはまだ、この隔離の習慣やタブーが根強く残っている地域があり、これが先進国から野蛮な風習や女性差別として非難を浴びています。けれど、私はこの全てが必ずしも野蛮だとか女性差別だとは思いません。それよりも、考え方によっては合理的だと思うのです。


例えばバリでは、たまたま女性だけが毎月「出血」するので女性差別と捉えられがちですが、実は月経だけではなく怪我などで出血している人なら男性でもお寺には入れません。どのような形であれ「出血」は身体には負担です。通常営業ではなく、休むべき時間なのです。

また、血の匂いは肉食獣を誘いますから、タブーや隔離小屋などの起源は、月経中の女性をなるべく外へ出さず一箇所に集めて守るため、ひいてはコミュニティ全体を危険にさらさず生き残るための知恵だったと考えることもできます。


実際に私も、バリの生活にも慣れ子供達もある程度大きくなって自分の身体を意識する余裕が出てくると、生理痛はほとんどない私でも排卵と生理前には日中でも眠く頭の回転が遅くなり、目の焦点も合いにくくなっていることに気がつきました。仕事が立て込むと忘れてしまう程度の変化ですが、忙しくしていて身体の変化を無視すると、かえって月経がスッキリ終わらなかったりします。

昔の人達は、こんなちょっとの体の変化もきちんと感じ、あるいは観察していたからこそ、様々なタブーも生まれたのでしょう。「穢れ」というインパクトの強い表現も、ある一定の考えや習慣をコミュニティ内に共有し浸透させるための言葉の技巧という側面もありそうです。

今は生理用ナプキンやタンポンの質も良くなり、月経血の処理は昔に比べると格段に楽になりました。それなのに、生理痛やPMSに悩む女性は減るどころか、昔よりも多くなっていると思います。

どうしてでしょう。

もちろん、現代社会のストレスや食生活が大きく関わっていますが、私はもうひとつ、 現代の生理用品の多くが、生理中であることを忘れアクティブに過ごせる(サラサラで 出血を感じない、普段通りに動いて大丈夫、など)ことが良いことと謳っていることも、問題ではないかと思っています。月経は本来不快なものであり、だから感じない方がいい、忘れられた方がいい、と思わされているということです。


私はそれよりも、月経とそれに伴う身体の変化をきちんと認識して大事に過す意識とそれができる環境が許されるなら、そのほうがずっと健康で幸せではないか、と思うのです。女性の月経の身体に対する影響や感じ方は個人差があるとはいえ、本来起こっている身体の、それも出血を伴うような変化を「忘れてしまおう、ないことに しよう」というのは、やっぱりどこかに無理があることですから。

 


ルグが作っている生理用布ナプキンや生理用ショーツは正直なところ、いま世の中の主流となっている生理用品と比べたら使い勝手は悪いです。けれど、月経というシステムを不快ではない方法で再認識し、ポジティブに過ごすツールとしては優秀です。これらを通して女性達が本来の自信とエネルギーを取り戻し、さらに過ごしやすい社会の仕組みの道筋を作っていくことが、店主の夢です。

何が快適か、どれだけ「休む」必要があるか、もっと言えば、どう生きたいのか、すべて人それぞれだと思います。そんななかで、いまの状態が今ひとつ納得できないと感じたら、月経をどう過ごしたいか立ち止まって見直すだけでもヒントが見つかるかもしれません。

ヒントを見つけるには、ルグがいつもお世話になっている、オランダ在住アロマセラピスト荒井瞳実さんの記事もオススメです。

Hitomi Arai Web「ブルーディを快適に!生理前後、究極の過ごし方を再考してみる。」

タイトル通りこれは「究極」で、このまますべて実行するのはなかなか難しいと思いますが、このいくつかでも、ほんのちょっとでも、頭の隅に置いていくといつか役に立つことがあるかもしれません。